木屋瀬宿(現・北九州市八幡西区)は、赤間道との追分宿としてにぎわいをみせていました。

  西構口には「従是(これより)右赤間道、左飯塚道」と、その裏には「元文三年建」(1738年)刻まれた追分石がありました。今は、郷土資料館の敷地内に移されています。

  宿場は東構口から西構口まで約1qの裏通りのない一本道で、御茶屋(本陣)付近で直角に曲がって見通しを断ち、ノコの歯状の家並みは我が身を隠して賊に対し、さらに脇道は、きまって寺社に突き当たる袋小路という、すべてが治安防衛を考えた昔の様が、今でもかなり残っているのは、長崎街道の中でも珍しいといえます。

  オランダ商館医師ケンペル、同シーボルト、測量学者伊能忠敬、学者頼山陽、洋画家司馬江漢、作家十返舎一九、医師伊沢欄軒、思想家吉田松陰など、有名な歴史人や、八代将軍吉宗に献上の象まで休泊または旅日記に残しているなど昔を偲ぶに十分です。

  今、木屋瀬では「街づくりの会」が休日などにボランティアの人たちでいろんなイベントが開催されています。街全体が昔の面影を残しており、ちょっとしたタイムスリップの気分を味わうことができます。

  木屋瀬と遠賀川を挟んだ対岸には、赤間道の植木宿(現・直方市)がありました。(記事は街づくりの会の表示板参照)

【あし】JR鹿児島線黒崎駅から筑豊電鉄・木屋瀬で下車、徒歩5分ほど。

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