東中洲

 那珂川を渡ると東中州。明治のはじめころは一面に菜の花が咲き競う畑だった。幕末のころ、黒田藩が、いまの東中洲電停前の親和銀行から松居博多織店にかけて福岡精錬所(応用化学研究所)を建て、ガラス染料の生産をやった。長崎留学の藩士たちも、それぞれが身につけた西洋技術を生かして、中洲から中島町一帯に住みつき、時計店、写真館と、店を開いて街をつくっていた。

 明治13年、九大の前身福岡医学校も、いまの宝塚会館付近に建った。そして明治20年、第5回九州沖縄連合共進会も開かれ、中洲は一段と発展していき、東京の銀座に次ぐ日本第2の歓楽街に育った。

 中洲は、夜の街である。ネオンと酔客と、夜の女とポン引き。金魚屋にうなぎ釣り、屋台のラーメン屋に、やきとり屋。雨が降ろうが雪が降ろうが、1年365日この風景は変わらない。

 そして、この街に朝日が差し込むころ、中洲はやっと眠りにつく。